「スポーツ」オフィシャル・インタビュー

東京事変にとっての“スポーツ”とは?

――今回は、曲を持ち寄る前に「スポーツ」というお題があったそうですが、テーマありきというのは初めての試みですよね。

椎名
そうですね。でも、なぜそうしたのかがハッキリとは思い出せません。
伊澤
1枚目からの前作まで続いていた“チャンネル縛り”は念頭にありましたよね。
椎名
もちろん。実は、昨年の頭に一度集まった時は「スポーツ」のほかにもうひとつの候補があったんです。昨年前半は、今の5人の状態がどこにあるのかを丁寧に探りました。最終的に「やっぱりスポーツだね」と決断したのは去年の6月くらいのことです。

――2年前にリリースした「閃光少女」と、アルバムの世界観が見事に一致していたので、当時からテーマを決めていたのかと思いました。

椎名
どこかしら意識はしていたと思います。あの曲を活かすなら、やっぱり、スポーツなんじゃないかな、と。わっち(伊澤)は去年1月くらいから、そのつもりで曲を持ってきてくれていたし、浮雲も最終的には5、6曲は持ってきてくれましたよね。
浮雲
頑張りました!「林檎さんのソロに比べたら全然ゴミだね あいつら意味ない」なんて言われたら嫌だから(笑)。
椎名
そんなこと、言わせません(笑)

――今作には林檎さんが作曲したものも2曲入ってますよね。

椎名
みんながものすごく勢いのあるスポーティーな曲を作ってきてくれたので、私は、それとはかぶらないもので、しかも“お通し”みたいな曲を持って行こうと思ったんです。コードや尺が書いてある程度の譜面で、みんな特別に用意しなくても、ぱっと触れて録れちゃうような曲を持って行きました。「勝ち戦」なんて特にそう。フライパン一個で出来てしまう、バターコーンの美味しさを目標として。

――曲選びはどうされたんですか?

浮雲
もち寄った楽曲をみんなで聴いて、スポーティーかどうかでふるいにかけていきました。僕は今回のために書き下ろした曲もあるし、ストック曲もある。前者は、「シーズンサヨナラ」「FOUL」、後者は「FAIR」と「極まる(きまる)」ですね。
椎名
浮雲の曲は、昔のも聴いていたんですよ。それで、「あれなんかスポーティーなんじゃない?」と思い出しながら、とりあえずみんなで触ってみたりして。今回、収録せずとも触ってみた曲はたくさんあったんです。伊澤の曲も、実際は(収録曲数の)倍くらいは触ってみましたし。そこで、「やっぱりスポーティー!」「これはストーリーが浮かぶ」というものを選択していきました。

――その“スポーティー”っていうのは、どんな意味合いですか?

椎名
ひとことでは言いづらいですね。制作中は、メンバー間で「スポーティーだね!」っていう言葉が飛び交っていたんですけど、自分たちに言い聞かせているようなところもあったし、それぞれの中に“自分なりのスポーティー”もあったと思うし。意味も定義も広いんです。

――たしかにアルバムを聴くと、疾走感のある曲もあれば、格闘しているようなものや、官能的なものもあって、それぞれにスポーティーだし、肉体的といえますね。

伊澤
スポーツだからといって、ずっと全速力で走っても面白くないので。そこはそれぞれが広く感覚的に、スポーツを捕らえていたんじゃないかと思います。
椎名
そうですね。それぞれの思うスポーツを出来る限り詰め込んだつもりです。楽曲の内容はもちろん、実際に演奏そのものも肉体的だったし、亀田さんが腱鞘炎を患ってしまわれて、スケジュール的に追い込まれながらレコーディングしたところもスポーティーでした。

“この瞬間”をレコーディングすること

――レコーディングはどの辺から始まったんですか?

椎名
「シーズンサヨナラ」「FAIR」あたりですね。

――いずれも浮雲さんの作曲ですね。

浮雲
たぶん、触りやすい曲だったんでしょうね。
伊澤
メンバーの肉体をぶつけやすい曲だったんです。

――「シーズンサヨナラ」はストレートで臨場感のあるポップですよね。詞も刹那的でせつないけど爽快感がある。

浮雲
ホントは僕の体の中に速い曲ってないんです。普段はあまり作らないんですけど、今回はスポーツだからと思って速い曲と激しい曲を作ったんですよ。詞はいつもそうだけど後からですね。苦手なんです。しかも今回は、オレの詞と林檎さんの詞しかないので、浮かないように気をつけながら(笑)。それと「シーズンサヨナラ」は伊澤さんのピアノがいいよね。
伊澤
いやいや、曲が良いからですよ。
浮雲
僕はこの曲は「何も弾かないでいたい」というイメージがあったんです。ジャンジャジャーンってコードをずっと弾いてるイメージだけで、曲がどうまとまるか全然考えていなかったから(笑)。でも、そこを伊澤さんのピアノが一手に引き受けてくれた。
伊澤
好きな曲に出逢うと、その「好き」っていうエネルギーをそのまま演奏に落とし込みたいんです。だから、もう全然悩まない。「この曲好きだから、オレはこうしたい」っていうエネルギーがそのまま記録されている気がする。でも、みんなもそうでしょう? その瞬間的なエネルギーの熱量っていうのは、このメンバーはみんな高いと思う。
浮雲
うん。
椎名
そこは敏感ですよね。もともとスポーティーなバンドなんですよ。だから、怖いです(笑)。アレンジにしても演奏にしても、いつも“聴き終わらないうちに言いあう”みたいな速度だから、ちょっとボーッとしているともう全然分からないところに行っている。みんなが同時に何を弾いているのかを聴きながら次の手を考えて……。高い集中力を要するので、いつも帰る頃にはもうヘトヘト、顔つきも変わっています(笑)。

――現場を拝見してみたいです(笑)

椎名
別のバンドと比べてどうかはわからないですけど、この5人が集まると、そういう肉体的な部分がより強く前面に出てしまう気がしますね。

アレンジで劇的に変わる

――事変の場合、アレンジは現場で演奏しながら行うし、リアルタイムでどんどん変化していくものだとおっしゃっていましたが、今回もそうだったんですか?

椎名
そうですね。だから、デモの時とは劇的に変ったものも多いですね。中には、「電波通信」のようにいろいろ試して一周して、元に戻ったものもありますけど。たとえば、「スイートスポット」は、これまでの事変にはない新しい境地を目指したいなと思ったので、伊澤さんのデモをモチーフにけっこう変えましたね。
伊澤
もとは真逆くらいの雰囲気の曲だったんです。
浮雲
人種の違う曲だったよね。
伊澤
そう、アジアっぽい感じだった。
椎名
人種で分けるの?(笑) でも、たしかに肉感的ではなかったですよね。元の曲は、もう少し“抑制の美”という感じでした。
伊澤
コードとメロディはほぼ一緒ですけど、林檎さんが「こっちに持って行ったらどう?」と全然違う角度からコードを拾って、冒頭の部分を作ってくれたんです。
椎名
デモには声が入っていなかったので、私の声が乗るっていうことを伊澤さんはどれくらい想像しているかなと思って。声が乗った場合を想定して、歌いだしと終わりの迎え方にはストーリーがないと落ちつかないかなと思ったんです。

――「絶体絶命」も伊澤さんと林檎さんの共作ですよね。

伊澤
これは僕がテーマを持って行って、その先を林檎ちゃんが作って、何度かやりとりしながら、リンポップがポップに仕上げてくれました。

――リンポップ?

伊澤
林檎ちゃんのことです(笑)。
林檎
なぜか、時々、そう呼ばれてます(笑)。これも伊澤さんがアレンジもきっちり構築したものを持ってきてくれたんですけど、やっぱり“歌モノ”として成立させたいなと。みんなで「何か加えたいね」と話し合っていて、「じゃあ、私、案があります」という流れだったんです。
浮雲
わっちは、メロディ部分って歌いながら作る? それとも弾きながら作る?
伊澤
半々ですね。今回は弾いて作ったほうが多いかな。
浮雲
僕の場合、歌いながら作ることが多いから、デモに歌詞じゃなくても歌声を入れているけど、伊澤さんのデモはメロディが声じゃない、別な音で入っているから。最終的に歌モノになるところが全然想像できないんですよ。
椎名
そう。メロディがピーッとか、トゥットゥールッみたいな音で入っているから。
伊澤
僕の中では想像してるんですけどね(笑)。「でも、この人なら歌える!」という信頼感もあるし。それは楽器にしたって、どのパートもそうですけど。
浮雲
でも、だからこそ、わっちの曲はものすごく化けるんですよね。
椎名
たしかに、変わり映えするよね。
浮雲
今回も、わっち(伊澤)の曲で入れるかどうしようか話し合っていたものがあって、そこで林檎さんが「私が絶対この曲を良くしてみせるから」って言っていた曲があったじゃない? それって、この2曲じゃなかったっけ?
椎名
両方ともそうだったかな。それと、「生きる」も、最初は心配していましたよね。
伊澤
あれも大きく変わりましたね。

大人だからこそ、歌いたかったこと

――「生きる」は、どんな過程で生まれたんですか?

伊澤
「生きる」は昔から自分のバンドでやっていた曲なんです。テンポはもっとずっと遅くて、しかも跳ねてない。男が歌い上げる「マイウェイ」みたいな曲だったんです(笑)
浮雲
カッコいいな。自分でそこまで言うのが(笑)
伊澤
それを林檎さんが「事変でやるなら後半から跳ねてもいいんじゃない?」と。僕はずっとやっていた期間が長かったので、最初はそれが体に入ってこなかったけど、林檎さんの歌が入った時に合点がいきました。

――この曲は素晴らしいです。冒頭から度肝を抜かれたし、核心をついているし。

椎名
ありがとうございます。やはり、いつもアルバムの1曲目は「舞台装置を見せる」という役割があると思うので。

――たしかに、濃厚なコーラスから始まって、2番で突然、楽器が登場する様子なんて、まさに舞台の冒頭シーンみたいです。

椎名
当初、コーラスの和声はここまで厚みのあるものを想定していなかったんです。エンジニアの雨迩さん頼みで、コーラスのエディットは簡単なデータで組み合わせてもらおうかなと考えていたんですが、それを伊澤さんが全て生声でやってくださって。一度それを聴いたら、絶対それがいいと思っちゃいますよね。
伊澤
家でもさんざん「アーアー」言ってました。はたからみれば、完全に変人だったと思う(笑)

――この曲のレコーディングはいつ頃?

椎名
かなり後半です。後回し、後回しにしていました。コーラスをどうしようかっていうのもあったし……。最初は詞を乗せずに音だけを先に録ろうとしていたんですね。先に言葉のイメージに捕らわれて欲しくなくて、みんなの音がただ躍動しているところに私の思っている言葉を乗せるという順番にしたかったんです。でも、それでレコーディングしようとしたら、わたしの思う理想とは違う方向へ向かってしまったと感じたから。

――違う方向というのは?

椎名
最初はこの曲について簡単なイメージだけを伝えたんです。“絶望的なくらいに晴れ渡っている感じ”とか。でも、それだけでは「この曲の絶望ってどこにあるの? 」 という疑問があったみたいで、やはり、共有出来ているイメージが足りなかったのかなと。その上、今度は、「キーを半音あげてみよう」「下げてみよう」なんていう具体的なやり取りが始まると、なかなかまとまらなくなってしまった。1曲目ですし、この曲に限っては、やはり先にイメージを明確に伝えたほうがいいと思い直して、歌詞を書いて伝えてから再度録り直したんです。

――「生きる」は歌詞も本作のテーマの根幹に関わるところですよね。

椎名
そうですね。曲を聴いた時、伊澤さんに「歌詞も一緒にください」っていったんですけど、教えてくれなくて。
伊澤
でもね、実は昔、自分が書いた詞にすごくリンクしているんですよ。林檎ちゃんにも初めて言うけど、この詞と同じように「孤独」とか「自由」が謳われていて。でも、当時、21歳の僕には、絶対言えなかったこともこの曲にはすごくいっぱい詰まってる。
椎名
20歳くらいの頃に一度こういうことを考えますよね。でも、そこからしなやかな大人に憧れるにつれ、楽することを覚えながらも、30くらいになって再び同じあの感覚を味わうじゃないですか? ところが、その感じってあまり歌われていないなって前から思っていて。何だか大人になると急に当たり障りのない曲を書き始められる方が多いなっていう印象があるんですよね。J-popによくある「スキーに行きたいね」みたいな曲が増えていく。

――そうですね。大人だからこその深い諦観や切実感もあるのに。

椎名
ええ。だから、そうしたニーズと曲自体のニーズの出会う場所を探って作詞しました。

――一方、ラストの「極まる」も「生きる」と対になる根源的な美しい曲ですね。

浮雲
これは23、24歳の頃に書いた曲です。今、よくよく考えたら、この曲も孤独だし、けっこう絶望しているかもしれない。そういう意味では1曲目とつながってるんですよね。

――ループ感はすごくあります。

伊澤
そうなんです。僕も車の中でもそうやって聴き続けてるんですよ。「極まる」まで聴いて、また「生きる」に戻って、何回も何回も繰り返し聴いている。

――この2曲だけでなく、アルバムの全体の根底に流れている“絶望”っていうのは、“希望あっての絶望”ですか?

浮雲
……難しいな。
椎名
難しいね。絶望も希望も、どっちの顔ものぞかせたいなとは思いましたけど……。基本的に「死にたい!」と思うと同時に生きてしまう。命は自分では操作できないものですよね。そこには絶望というより、多かれ少なかれ失望がつきまとうから。いつも表裏一体なあの両面性が出せていればいいなと思いながら作りました。「希望を持ちたいですけれども……」っていう感じですね。
伊澤
やっぱりスパイラルなんですよね。

――たしかに、“生と死”、“エロスとタナトス”、“鍛錬と本能”とかあらゆる両面のスパイラルみたいなものを感じました。

椎名
嬉しいです。

――それから、“体と心の関係性”もテーマのひとつだと思うんですけど、「乗り気」ではそこを特にはっきりと歌っていますよね。“感じているより考えているより、からだがはやい”んだと。

伊澤
しびれるよなぁ。この歌詞はすごいとしかいいようがない! 林檎天才!
椎名
いやいや、あなた身内ですから(笑)

――でも、本当にいい歌詞だと思います。「閃光少女」もそうですけど、アルバムの流れの中で聴くと、さらに感動的でした。

椎名
ただ、言葉に関しては意図していないんですよ。今回は、すべての曲において「言葉で意図しない」というルールを自分の中で決めていました。ギリギリまで詞は考えずに、「その曲が何を求めているのか」だけをずっと思いながら、アレンジも構成もやって、仮歌も歌っていた。「このパートの後はギターソロがいちばんハマる」みたいな構成も、歌詞の都合をまったく無視して考えたし。楽器の自然な流れとか音の快楽を追求すれば、言葉は最後におのずと出てくるはず。言葉はみんなが使う“公共のもの”だし、音が決まれば、それに相応しい言葉は絶対にひとつしかないんじゃないかなと感じたんですよね。だから、どの曲の歌詞も頭で考えたわけではない。音の中にきちんと潜んでいると考えていました。それを感知しようと努めただけです。

それぞれが自分に課していた課題とルール。

――林檎さんは自分の中で、「今回は、ギリギリまで言葉をのせない」というルールを定めていたそうですが、他のメンバーの方々もそういうルールは持っていたんですか?

林檎
話し合ったわけじゃないけど、それぞれあったみたいですよ。トシちゃん(刄田)は、自分の弾く音を一度譜面に起こしてから、禁欲的に練習したと言っていましたし、亀田さんもあったみたいです。

――伊澤さんは?

伊澤
自分の中のルールは、「挑戦」とかそういうことで。いや、ちゃんとできてるのかわからないですけど(笑)、範疇を広げて“キーボティストとして”、シンセ的な音を作ったり演奏したりもしたし。今までの自分のピアノだけでは到達できないところまで行きたいと思ったんです。
椎名
そこは心理的なハードルがあったんだ?
伊澤
うん。みんなは「ピアノでいいじゃん!」って言ってくれるんですけど、やっぱりね。でも、「閃光少女」のダビングの時にディレクターがアナログシンセの音を発注して後から入れていて。これって、ホントはオレの仕事じゃないのかなと思って、何だか自分が情けない気がしたんですよ。事変は、メンバーの演奏で間に合わせるようなシステムにしなきゃマズイと思うし、それなら、もうやるしかないなと。まあ、この先はもうやらないかもしれないですけど(笑)。

――今回、キーボディストとして特にハードルの高かった曲はありますか?

伊澤
「乗り気」かな。曲のアレンジ自体もすごく変ったし、自分のプレイも現場でどんどん変えて行ったし。そこに必要であろうという新しいアプローチを取り入れてやれたから。

――浮雲さんのマイルールは?

浮雲
答えが浅くて申し訳ないんですけど、曲を作る上では速い曲を作ること。ギターを弾く上では、ひずませること。ひずませる時に、ポジティブにつまみをいじりました(笑)。
椎名
そうだったね(笑)
浮雲
基本はひずませたくないんです。もうデフォルト(初期設定)でひずんでいる人も多いけど、僕はひずみたくない。でも、今回は、積極的にひずんで行こうと(笑)。

――その発想の転換はなぜですか?

浮雲
曲の中で求められているギターっていうのは、ひずんだ音であることも多いでしょう。だから、そこはチームプレイですから、寄り添ってみようかなと。決して上から目線ではないし、そんな大げさなことじゃないけど、自分の中ではブレイクスルーでした(笑)。他にも、今回はいろんな弾き方をして、いろんな音が録れてよかったなと思います。
椎名
「電波通信」のギターなんて新鮮ですよね。浮雲がこういう曲も得意だなんて初めて知りました。ああいう曲も普段聴いていたのかな? と思ったり。
浮雲
あの曲に関しては作者のわっちの意図しているものが……電波通信したな(笑)。
伊澤
でも、浮ちゃんって何でもできるんだよね。ただ、ひねくれてるから(笑)。
浮雲
そう、やりたくないことはいっぱいあるんです。分かってるけど、オレはそうは弾きたくないっていうのがけっこうある。

――それは、具体的には?

浮雲
普通のこと……はやりたくない。
伊澤
カッコいい!(笑)
椎名
アーティスティック(笑)
浮雲
アーティスティックぶって31年生きてます(笑)。
椎名
でも、2nd「大人(アダルト)」の時は、そのやりたくないことをいっぱいやってくれたと思うんです。「これでみんながいいんだったら別にいいけど」みたいな感じで(笑)。でも、今回はそういうテンションではなくて、時間をかけても、“ここしかない”と思える演奏をして欲しいなと期待していたし、実際、やってくれたと思います。「絶体絶命」のギターなんてすごくいいですよ。
浮雲
たしかに、あれは今まで自分では弾かない感じだった。あの曲は、みんなにいろんな意見を言ってもらって、助けてもらったんです。……もっと頑張ります(笑)

――みなさん、各々「こう弾きたい」以上に、バンドとして「こう弾いたほうがいい」が強かったんですかね?

椎名
そう、そうです。メンバー誰もが、“自己実現のための演奏”っていう感じじゃないから。何目的なんでしょう。録音になるとみんな“自我”がない状態になるんですよね。

――個人では集団としての自我になる?

浮雲
今回は、すべての曲に、そういう個人的な自我を持たせる余地がなかった気がする。「あなた、ここに行きなさい」って曲に言われた感じ。
椎名
すごく分かる。曲に顔があって、みんなには顔がない感じでした。

――それは前作「娯楽」の時とは違う感覚ですか?

椎名
ちょっと違う気がします。前作は、もっと遊びや余白があったけど、今回はもっと充満していたというか……。
伊澤
やっぱり「娯楽」を出して、ひとつづつ段階を踏んで、自然にここにたどり着いたんでしょうね。
椎名
今、演奏の話をしながら思い出したんですけど、今回、私がバンド全体に課していたルールがもうひとつありました。それは、『やったことない』とか『やりたくない』とは言わせないこと(笑)。楽器も歌も頭や意思でコントロールせずに、体を通してみて、そういう風に「鳴っちゃった」「声が出ちゃった」っていうところに到達したかったから。それには、とりあえず、どんなこともやってみるべき。あらゆる可能性を試してみることが大事かなと。たとえば、浮ちゃんに「オレはボーカリストじゃないし」って言わせないように、『能動的三分間』も浮ちゃんのキーに合わせて作って行ったり。コーラスも全員が挑戦していますしね。「誰かと比べて良い悪い」とか、「普通はこうする」だとかはどうでも良くて、ただ自分たちの持っているものは何でも使いたかったし、今できる限りのことは全部やるんだって思ってました。

――使ったことない筋肉も全部使う、今この瞬間、全力を出し切る……という。

椎名
そうですね。絶対駄作にはしたくなかったから、すべて使ってみよう、出しきってみようという感じでした。それが私にとってのスポーツだったんだと思います。

スポーツと音楽の類似性

――“スポーツ”というテーマと向き合ってみて、実際のスポーツと音楽の類似性って感じましたか?

椎名
似ているのは、体を使うところくらい。“似て非なるもの”だなと思いましたね。スポーツならば「見てくれました? 自己ベスト記録!」って言えますけど、音楽は言えないですよね。自分の中では目指しているものがハッキリしているけど、それを言葉にして伝えようとすると、すごくズレるんですよ。ぱっと目に映らないことを伝えるって何て難しいことなんだろうと思います。

――耳の開き方、肥え方は人それぞれですからね。

椎名
そうなんです。しかも、共通認識として「これが品質世界一です」というものはまったくないわけですから。“品質”とか“クオリティ”って簡単に口にしますけど、実際は、どんなに一生懸命作っても、逆に力を抜いて作っても善し悪しは単純に測れないですよね。そこはスポーツとはずいぶん違うと思います。

――測れなくても、伝わるものはあると思うんですけどね。それから、聴いている側としては、ミュージシャンはとても肉体的で本能的だと思います。林檎さんがデモテープを何度も聴きこんで音が要求するものを深く正確に聴きとろうとすることも肉体的だし、シングルのインタビュー時に、「伊澤さんの曲は人間味や本能と直結している」とおっしゃっていたのもそうですし。

椎名
それはもちろんあると思います。浮雲も別な部分で運動神経がいいなと思いますよ。ノリの安定感もそうだし、歌録りもすごく速いんです。「FOUL」なんて演歌歌手の手練な方みたいに3テイクでOKでした(笑)。師匠(亀田)やトシちゃん(刄田)も、あんなに練習を積んでいるのに、「今も修行中だ」といつもおっしゃる。不思議なくらいに謙虚なんです。師匠なんて今回腱鞘炎になったことも「怪我の功名だ」と懸命に練習なさっていたし、実際、かつてより素晴らしい音になっていた。

――肉体的であることってピュアなことですよね。

椎名
そう思います。どうしても大人になると頭や自我で「やってやろう!」と思っちゃうじゃないですか。でも、そんな計算をせずに、いかに思い切って身を投げだせるか、体ごと飛びこめるかが大事だなという気がします。

――林檎さんはずっと以前からそこを大切にされていますよね?

椎名
ええ。そこはソロデビュー時から重要視していたと思います。歌の巧い人や巧く歌おうとする人はたくさんいるし、自分は巧く歌おうとしないでいようとか、そういうことは変らずに大切にしていましたけど、今回はそれ自体をテーマにしたわけですから、堂々とやれる。しかもそれをこの5人でできて本当に良かったなと思います。「スポーツ」というアルバムはいずれいちばんいい時に、元気な時に出したいと思っていましたしね。

――今作を通して、さらに、肉体や本能が研ぎ澄まされたんじゃないですか?

椎名
想像以上に体力消耗しましたね。今はもうここが最高沸点かもしれないと思ったりしています。これ以上、肉体を酷使するのは無理かもしれないし、単純にこっちに行ききったから今度はこの反対のことをやりたくなるだろうなという予感もあります。ソロで「加爾基 精液 栗ノ花」を作った時はそういう思いがあった。あの作品は肉体的なものを抑制して作ったので、事変でもそれをやってみたいと思うような……そんな予感がします(笑)。

現在とこれからの東京事変

――お話を伺っていて、今の東京事変はメンバー間の信頼関係が育って、とてもいい状態なんだろうなと感じました。

椎名
「大人」の頃は、まず、2人(伊澤、浮雲)を長年のスタッフやいろんな人に紹介しなきゃ。みんなにも気に入ってもらって末永いおつきあいをしたいと思って戴きたい……というヒヤヒヤがありましたから。それが、「娯楽」では私が不在でもみんなで仲良く曲を揉んでいる時間が生まれて。今回はさらに余分な会話を必要としなくなったんですよね。だから、すごくスムーズだし、基本的に和やかなムードですね。
伊澤
信頼関係って普段はいちいち意識はしないけど、それって、“本人が自然でいられる”ということでしかないと思うんですよ。
浮雲
いいこと言うね。1枚作るごとに状況も空気も変化しているだろうけど、今はとにかく“何かいい感じですよ”としか言えないし、みんなで一緒に前進できた感じはしますね。

――新しいアルバムが完成したばかりですけど、もう次のことは考えていますか?

椎名
今はまだレコーディングモードを解除したくないんですよね。さきほどお話したように、この肉感的な作品をやり遂げたら、今度は抑制したところを追求してみたいという欲求が生まれていたり。実際はまだまだツアーも含めて、この作品で肉体的な追及を続けなくてはいけないし、それに対して非常に辟易しているところです(笑)

――林檎さんにとっても、それだけ大きな作品だったんですよね。

椎名
そうなんですね。自分がすごくえぐられる気がしました(笑)

――伊澤さんと浮雲さんはいかがですか?

伊澤
先のことは分からないけど……今、達成感はありますよ。今までよりもずっと強くあります。
浮雲
これを作っちゃったから、今はまずこれをすごくカッコよくライヴでやらなきゃなって。東京事変はライヴが大切だと思うし。形としてそのまま再現するわけじゃないけど、この魂的なもの、エネルギー的なものは、ちゃんと表現したいと思います。