4thアルバム『スポーツ』の完成直後から、「この肉体的なアルバムをライヴではどう表現しようか悩ましい」「ライヴで成功させてこその作品だと思う」とメンバーもその思い入れを語っていた通り、テーマの奥深さ、スキルの難易度、熱量もこれまで以上に格段にハイレベルなこの作品を生でどう見せるのか――。しかも、ツアータイトルは、“ウルトラC”である。いやがおうにも聴き手の期待とともに、演じ手であるメンバーのプレッシャーもギリギリまで高まっていたに違いない。

5月12日、東京公演2日目、東京国際フォーラムのホールA。
ステージ後方から逆光に照らされながら、ギリシャ神話の神々のようにも見える原始的な衣装に身を包んだメンバーが現れた。

オープニングは、『勝ち戦』。ウォーミングアップにピッタリの心地よいグルーヴが会場を非日常へとスムーズにいざなう。ステージ上に5人が並ぶ。そのフォーメーション、演奏するフォームの美しさに心奪われていると、みるみる速度があがっていく。
『電波通信』は、タイトな演奏が激しく点滅するライトと溶け合って、五感に迫る。この曲の持つ途方もない快楽にナマで身を浸す。

どの曲もCD以上に、肉体により響くように緻密に大胆に演奏、演出されている。演奏・パフォーマンスはもちろん、照明、音響、衣装、演出のすべてが混然一体となって、心身を刺激する。『FOUL』までひたすら加速・加熱し続けて、序盤ですでに最高速度を記録か――? と興奮が極まったところで暗転。

短い静寂のあとに、青いライトがともり、伊澤のキーボードとともに林檎が『ありあまる富』を歌い始めた。そのとたん、がらりとムードが変わる。
会場全体が美しく神聖な空気に包まれて、また物語が動き出した。そこから、アルバム『スポーツ』の核をなす名曲『生きる』への流れは素晴らしかった。多重構造で奥行きのある本曲こそ、ライヴでどう表現するのか、予測不能だったけれど、生身のバンドサウンドで、この曲の持つ圧倒的な生命力を増幅させながら、完璧に表現しきっていた。

躯を折り曲げて、振り絞るように歌う林檎。躯の機能のぜんぶを使って歌っているかのような切実な歌声。そこに刄田のドラムが、亀田のベースが、浮雲のギターが、伊澤の鍵盤が同じくらいのエネルギーをもって呼応する。ただ、ひたすら圧倒されながらも、心身が覚醒して行くのを感じていた。

全楽曲の演出がドラマティックであり、1曲ごとにたくさんの意味がこめられていた。

たとえば、中盤の『能動的三分間』。この曲のグルーヴの繊細さと中毒性、物語の面白さは、ライヴにおいて身体ぜんぶで味わうとより深くまで届く。生演奏だけでも惚けてしまうのに、曲の始まりとともに、ステージ後方に大きく赤いタイマーが映し出された。文字盤の数字は、<03:00:00>。CDでは三分ちょうどで終わるこの曲をライヴでもぴったり三分でやりきろうという演出だ。ホントにそんなリスキーなことを本当に生でやるの――?

だけど、快楽をともなうリスクならば、当然やる。何でもないことのようにやり遂げるのが、東京事変なのだろう。曲の進行とともに、一時も留まることなくめまぐるしく減って行く数字を背に、いつも通り、悠然と、集中して歌い、奏でる。

快感と焦燥感に包まれるうちに、ラストのフレーズとともに本当にピタリと演奏を終えた。その瞬間のカタルシスに会場全体が我を忘れてどよめいた。

音楽というエネルギーに体中が刺激されると、細胞がゆるみ、心が弛緩していく。そして、たくさんの感情の栓がひらかれる。生きている実感。それは、欲望を実感して、感情を味わうことだと思い知る。

後半は、すっかりタガがはずされて、ますます音が身に沁みてきた。『我慢』の怒りとユーモア、『スーパースター』の叙情がひときわ突き刺さる。『キラーチューン』のスウィングのきらめきもいっそうまぶしく感じられる。林檎とともに無心で手を、旗をふる。無駄なコミュニケーションは一切ないのに、本編がすすむごとに一体感が強まって行く、この不思議はなんだろう。

林檎も、亀田も、刄田も、伊澤も、浮雲も、緻密なプレイを重ねながらも、一方では観客に意識を向け、なりふりかまわず音の中に身を投げ出して、何かを伝えようとしていたよう。ある一点にむかって、一丸となり、挑戦していた。その姿も観客はいろいろなものを読みとっていたゆえの一体感なのかもしれない。

アンコールでは全員、白を基調にしたスマートなスタイルで登場。
チュチュのようなスカート姿の林檎の姿形や所作がエトワールの絵画のように見える。『スイートスポット』ではうずくまって歌う林檎、からみつく浮雲と伊澤のコーラスの色っぽさも、初めて東京・丸の内で披露された『丸ノ内サディスティック』もスペシャル感があった。

ラストは、アルバム同様、『閃光少女』から『極まる』へ。『極まる』では、空間も時間も超えた、あの桃源郷のような世界観が音楽で再現されている。曲の終わりとともに濃霧がたちこめ、まずは林檎が、次にメンバーがその奥へと消えて、あっという間に終焉。

鮮やかで美しい演出に、会場は、うたかたの夢をみていたかのような、長らく心地よい余韻に包まれてた。

MCもあいさつ程度だし、説明的なことは一切なかった。完璧で緻密な演奏と演出だったけれど、奇をてらっていたわけではない。けれど、一瞬の間すら、意味のある間合いだった。後に、ライヴ中は、多小のトラブルもあったと聞いた。けれど、それがもたらした緊張感すらもすべて必然のように思えた。

最後に、「貴重なお時間さいていらしてくださってありがとうございました」と林檎はさらりと言った。

ライヴを通じて痛いほど伝わってきたのは、“時間”というものの密度だった。その濃度がものすごく濃いライヴだった。限りある時間と命を思う。死を意識しながら、生きることで、時間と想いの密度は変わる。そのことが、東京事変の鳴らす音に、あのライヴのすべてに表れていて、この身にも刻まれた。

<芳麗>

<東京事変 live tour 2010 ウルトラC ’10.5.12 @東京国際フォーラム ホールA>
M1 勝ち戦 M6 FOUL M11 修羅場 M16 キラーチューン ~ENCORE~
M2 FAIR M7 ありあまる富 M12 能動的三分間 M17 乗り気 M19 スイートスポット
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New Release Information 東京事変2010ツアー、ライブ映像作品発売決定!